昭和42年3月19日 特別奉修員に対する御理解
「口に真を語りつつ、心に真のなきこと」と御神誡下さっておられます。けれども、皆さん、こういう様な体験はございませんでしょうか。「神様、おかげを頂きまして有難うございます」と、こう、実際、心の中には有難いとは感じていなくても、本当に有難うございますとこう言うならば、口ばっかりと言う意味でもないですけれど、言うておるうちに一緒に、有難うならして頂くといった様な体験が、おありでしょうが。
「おめでとうございます」と言うてから、ご挨拶しとると、本当に、こちらまでめでたいという気がしてくるという様な事がございますでしょうが。ですから、「口に真を語りつつ、心に真のなきこと」という事が、全然その、心の中にそうあり、めでたい心でありたいと、いつも心の中に有難いものでありたいと願うところから、おのずと出てくるものであったらいいと思うですね。
言霊の幸はふ国、と言うのは、日本だけの事じゃないと思うですね。これは古事記かなんかの中にあることですよね。確か。言霊の幸はふ国と言うのは、その日本の国だけの事じゃない。人間の世界と言う事だと、私は思うんですよ。人間の世界は、言葉をもって通うのです。ですから、その言葉がですね。悪い言葉よりも良い言葉、言霊の幸はふ国、言葉にも、やはり魂がある。音にも魂がある。ですから、良い音は有り難いとか、賑やかということになってくるんですね。
例えば、お座敷に、三味線でも入りますと、一遍に何か、陽気になってきましょうが。例えば、鉄工所あたりの前通ってから、ガンガン言いよるのを見たら、耳に栓したいような気がしますでしょうが。同じ音に変わりはないのだけれども。いわゆる、そういう風にです、音にも魂がある証拠に、人間の心を、嫌にされたり、有り難いことにさせたり、又は、賑やかにさせたりするものがあるのですよ。
それを音魂とこう、言霊でも同しごと。言葉にも、魂と言うものがあるから、ですから教祖の神様は、金光大神の御伝記の中にですね。お上から神様を拝む事を差し止めなさった時代がございますです。ですから、家の中は真っ暗です、いうならば。けれども、そん時に、家庭の方に言うておられることは。これからはね、内々の事でもです、こういう事になればなるほど、ひとつあの、あなたこなたと呼んでいけ。
とこう言うておられます。いわゆる、かえって睦まじゅう、言葉も優しゅう、いたわり合うていけと、こう言うのですね。ですから、本当この辺のところを、言葉を大事にさせて頂かなければならんと思うんですけれども。私共が、やはり、工夫しなければいけません。特に、御造営成就。御造営御成就に相いなり、さぁ実際は、そう思うていなくてもです、心の底には、やはり御造営成就の事を思うておるならばですね。
御造営成就と言う事をです、神様の前に、繰り返し繰り返し、御造営御成就が相いなりますように、と言うような、私は言葉を、お互いが交わし合うたり、神様に捧げたりしていくことによってです、有り難いものが頂けれると思うのです。これは御造営成就だけの事じゃありますまい。お互いがです、本当にその、おめでとうございますとか、有難うございますとか。
とにかく良い言葉良い内容を持った所の言葉というものを工夫さして貰うて、家庭にでも、社会においてでも御広前の中に於いては、尚更のことそこんところを頂いていかなければいけないと思う。私只今おかげを頂きましてありがとうございますと、私、そん時あら私本当に有り難い事だと、実は思うくらいなほんなら言葉に出てくるんですよ。ところがその後にはです、確か込み上げるような有り難いものが、それについて来るから不思議なんです。そんな実感を頂きましたから只今の皆さんへの御理解を頂きました。
どうぞ。